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『子供たち怒る怒る怒る』佐藤友哉
今回は佐藤友哉の短編集をご紹介。
収録作は以下の六作。

『大洪水の小さな家』
テーマは【確固たる愛】。
子供たちというものは不可抗力の下に絶対的に無知ゆえ、とても小さな小さな世界で生きて、ささいな幸せを体中で受け止めて、小ぢんまりとした繋がりを全てのだと思いがちで、それは押さない子供たちにとって大洪水のごとくあった。
しかし、そこにも確固たる喜怒哀楽が存在して、それはオトナは既に感じることをやめてしまったレベルの感情と勘定で、それは小さいゆえに何ものにも流されずゆるぎないものだったと思う。

『死体と、』
テーマは【確固たる他】
子供たちは今日あった出来事を親に話す。内容は往々にして自分が見た範囲の出来事を、自分の視点から、自分の感情・主張を交えて話す。そこでオトナは子供に、俯瞰した視野でもって、客観的な視点から他人の事を考えることを示唆しつつ、正しいことはその通りだと教育し、時に過ちを正す。
しかし、想像力以前にその発想を取り入れることの必要性を感じない確固たる未熟な世界を持つ子供にとって、どこ吹く風の念仏。幼いままに世界が閉じれば、念仏はオトナの自己満足にしかならないという事実は、子供とオトナの間に立ちはだかり、子供からしか見えない壁で、オトナとの距離を隔す。

『欲望』
テーマは【確固たる生】
子供たちは生きるために生きず、生きているから生きる。目的と手段が同時に存在してしまった世界はそれはそれでバランスを保っていて、地球の自転と重力のように均衡しているの。自転も重力も知識として知ってしまったオトナはその均衡に対して目をつぶってしまって、いつしか見えなくなって、考えることを辞めてしまう。
しかし、世代は文化と共に変わり続けて、オトナたちが考えることをやめた世界で生き続けるようになる子供は、世界の多くを牛耳る大人たちの世界に迫害されつつも、生きるために生きる力で応戦する。

『子供たち怒る怒る怒る』
テーマは【確固たる面】
子供たちは無知ゆえに単純で、無知ゆえに柔軟である。単純ゆえに、自分が信じていたり興味を持ったりしたものに対して素直で、キャッチーでシンプルなアイコンに左右されながら自我を形成していく。柔軟であるがゆえに、オトナならば真っ先に否定する方向に思考の枝を伸ばして、気がつけば複雑な思考回路を形成していく。世間ではそれらの面を兼ね備えている人間が、子供と呼ばれている。
しかし、それらの面の下の子供たちの表情が見えないオトナたちは、理解できないで当たり前である可能性を理解できないまま、子供たちの声を聞かずに、理解しようとする努力をやめる。だから素直な子供たちは大人を理解しようとせず、また、柔軟にその扱いに対応しようとして子供の世界を拡張していき、理解されないまま大人の世界に攻撃を仕掛けていく。

『生まれてきてくれてありがとう!』
テーマは【確固たる無】
子供たちは生きるために生きるので、常に世界で一番がむしゃらに生きている。わき目も振らず、余計なことを考えず、ただ生きている方向を目指して生きる。それに気付かないオトナは、子供のためだと余計なものを押し付け、壁で道を作ろうとする。子供はオトナの用意したガラクタを押しのけて、壁に穴を開けて進もうとする。なぜなら、オトナが用意しなくても未熟な生物にとって、生きるという事は障害物を掻き分けて壁と言う壁を突破していくことだからだ。
しかし、子供にオトナをを怒る暇さえない。生きなければならないからだ。喜怒哀楽を享受するのに忙しいからだ。ただ、子供は怒る暇を与えてくれない環境を作り出すオトナには怒ることもある。

『リカちゃん人間』
テーマは【確固たる標】
子供たちは社会的にも生物的にも未熟であるがゆえに、一人では生きられない。そして生きるためには困難が伴うので、オトナの力をかりることになる。例えオトナが障害になったとしても、オトナの力を借りずには突破できない事が数多く襲い掛かってくる。その矛盾に疑問にぶつかったとき、子供たちを導いてくれる標となるのは、やはりオトナたちである。
一人。一人でいいから、子供たちにはそれぞれを導いてくれる大人が居てくれる世界になって欲しい。
一人。一人の子供でいいから、そのこを導くことの出来るオトナになりたい。
そしてそんな子供たちとオトナたちであふれている、そういう世界がやってきて欲しい。
子供と子供のオトナへの怒りで構成されているが、怒りには愛が必要不可欠である。
佐藤はそう言っているんだと感じた。


子供たち怒る怒る怒る (新潮文庫 さ 63-1)子供たち怒る怒る怒る (新潮文庫 さ 63-1)
(2008/04/25)
佐藤 友哉

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【2008/09/13 13:41】 | こむじゅの本棚 | トラックバック(1) | コメント(1) | page top↑
復帰です。
パソコンのお気に入りが吹っ飛んでしまい、ネットにつながってるのかどうかあいまいな日々でしたが、復帰しました。

くだらない業者コメントも削除削除削除です。

不在の間に足を運んでくれた方々、失礼しました。
これからもどうぞよろしく。

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【2008/08/21 20:54】 | 無指向型の安全ピン | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
『夏と花火と私の死体』乙一
乙一のデビュー作。
まさに、乙一の原点だぁね。ちょっと前に、今更ながら読んでてみた。
全体を通して語られる世界は現在の乙一そのもの。

良いか悪いかは別として、成熟してしまった乙一の作品には見られない複線の張り方が際立って見えた。と言っても、初期作品をあまり読んでいなかったというのが、そうした感想を抱いた理由なんだけれども。
そもそも、たいていの場合伏線の張り方というのは「露出させる」か「隠蔽するか」のバランスのとり方で、そのバランスの緩急が個性だったり作風だったりと呼ばれるものの裏にあるものだと考えている。繰り返すけれども、どちらが優れているかとかは別問題で、作品内で、または作品毎でその演出を変えていくのが作風なのではないかということ。
今回の場合、過去の作品に触れたことで、現在の作品と対比することで「伏線の露出」という部分の違いが際立って見えた。

もちろん、他の初期作品群に触れてないので一概には言えないけれども、同時収録の『優子』を見てもそれがわかることから、当たらずとも遠からずの意見なんじゃないかと思う。

しかし、とにかく徹底的に客観的な立場から見た上で主観的に物語るというスタンスは初めからあったようで、語り口の有機的なソリッド感はそのまま。

上記の内容と違うところに着地点を持っていくとしたら、「やはり乙一は動物の使い方がとにかく上手い」ということが良くわかる一冊。

乙一は読んだ事があるけど、本書を読んだ事がないって人は是非。


夏と花火と私の死体 (集英社文庫)夏と花火と私の死体 (集英社文庫)
(2000/05)
乙一

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【2008/06/29 13:39】 | こむじゅの本棚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
『水没ピアノ~鏡創士がひきもどす犯罪~』佐藤友哉
ユヤタン(佐藤友哉の愛称)レビュー二回目にして、ユヤタンの三作目。

二作目の『エナメルを塗った魂の比重~鏡稜子ときせかえ密室~』のレビューは、内容が人を選びそうなので無いです。
高校時代の自分なら『エナメル~』も好んだでしょうが、読書の方向性が変わっている現在、表面的なストーリーがしんどかったので割愛ということです。しかし、『エナメル~』の構成とか、エンターテイメントの一つである小説としての本質的な部分ではとてもよく出来ていて、お勧めではありますよ。と。

そいで、本作『水没ピアノ』の紹介。
この読み口軽さで、この内容の緻密さと、終盤の衝撃が出るのはすごい。
内容が読み口の軽さに左右されるとは言わないが、さらりと語られる物語からひっそりと隔されていた部分が「ひきもどされる」ときの衝撃は圧巻の一言。
得てして、ほのぼのとした展開(本作はほのぼのした内容ではないけれど)から迎えるラストというものは、半透明の伏線を元にじわじわと頂点へ高まっていくけれど、本作は違う。半透明の伏線をさらに半分露出させているままで、進んで行って、最後に残り半分を突きつけて終わる。その割り切った潔さがとても心地よく響く。

久々に、これは構成の勝利ではなく、作者の勝利だ。と思った作品。



水没ピアノ―鏡創士がひきもどす犯罪 (講談社文庫 さ 87-3)水没ピアノ―鏡創士がひきもどす犯罪 (講談社文庫 さ 87-3)
(2008/04/15)
佐藤 友哉

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【2008/05/25 23:53】 | こむじゅの本棚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
『四畳半神話大系』森見登美彦
現代を生きる若者で、実際に四畳半に入ったことがある人がどれだけいるだろう。
また、そこで生活をした事があるとなると、どれだけになるだろう。
そんな中、「正方形に畳が置かれた四畳半を想像してくれ。この小説はまさにその四畳半だ!」という感想の、この例えがどれだけ正確にイメージされるだろうか。

それでも、この例えが理解されなくてもそれが時代で、それはそれとさせるのもこの作品だと思う。

あたりまえだけど、ほとんど同じ畳であっても、それぞれ異なったイグサの束を、職人の腕で同じ寸法に整えられたものである。
そして、この作品は一人の職人に紡がれた四つの話から成っている。
それらは、ほとんど同じ形をしてるものの、よく見ると素材は同じであるけれど全く個性の異なるもので出来ている。

ところで、一畳の畳が風車のように敷かれ、その真ん中に半畳の畳が納まっている、というのが四畳半である。
四枚の畳だけで四畳半は成り立っているわけではなくて、その中心にある半畳がなければ四畳半ではない。
本作では、短編集などでよくある、全編を通して見えてくる物語があるわけではない。しかし、物語になりきれていない物語が確かにあって、他の物語に支えられてその中心に渦を巻くようにして蜃気楼のように立ち上がっている。
四つの物語とあわせて、この物語になりきれない物語の存在があるからこそ、神秘的な四畳半の大系がそこに形作られている。


四畳半神話大系 (角川文庫 も 19-1)四畳半神話大系 (角川文庫 も 19-1)
(2008/03/25)
森見 登美彦

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【2008/05/22 21:49】 | こむじゅの本棚 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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